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<第三回 両槻会 定例会>

 台風の接近する中、O-さん、たけさんと3人で明日香村入りしました。
第二回及び飛鳥検定はパスさせて頂いたので、今回は抜けられず・・・
ではなく、今回は大好きな<海獣葡萄鏡>のお話だと言う事でこれは是非
お勉強させて頂こうと思いました。

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 <第三回 両槻会 定例会・・・海獣葡萄鏡について・・・>

<海獣葡萄鏡>と言うのは、中国で古くから作られている鏡ですが、
日本に入ってきたのは、飛鳥時代頃じゃないかと言われています。
高松塚古墳から出土した鏡がこの<海獣葡萄鏡>。

海の獣だから(イルカ)や(サメ)などをが描かれていると思われがちですが、
そうではなくて、(ライオン)を軸にして、唐獅子、
狛犬、獅子などを併せたような空想上の獣を指します。
 葡萄はそのまま、食べる葡萄の事ですが、沢山の実が房なりに実ることから
子孫繁栄を意味したおめでたい食べ物だと考えられていたのではと言う。

<大型海獣葡萄鏡>・・・主に神社のご神体としての形態を持つ。

 *直径30cm以上もある巨大な鏡を指します。重さ・・・2~5キロ

 春日大社には、足利尊氏が奉納したと伝わる鏡がある。

<中型海獣葡萄鏡>・・・同型鏡で、副葬鏡が多い。

 *直径10~20cmで、698年 飛鳥~奈良時代まで作られた。
 
 *同じ文様が数多く出土している事から、どうやら同じ鋳型に流し込んで
  作られたのではないかと思われる。

 *同じ型を使っているので、繰り返し使っている間に型が劣化や磨耗して
  出来上がりに差が出たであろうと推測される。

 *高松塚古墳から出土した<海獣葡萄鏡>は、この中型になる。(直径15cm)

<小型海獣葡萄鏡>・・・祭祀用(お祭など)ではなかったか。

 *直径6cm前後の小さな鏡。

 *これは、富本銭を作る要領で、枝に葉っぱが付いているような感じで
  沢山作られたのではないかと言われている。

 *面白い事に、夫婦それぞれのお墓から、同じ鏡が出土している。
  それは、夫婦和合の証だったのではないかと言われている。
  死んでもなおも・・・う~ん、考えさせられる~って言うか、Pには
  考えられんと言うか・・・(おいおい)

<鏡の渡来>

 *中国で作られていた<鏡>は、富の繁栄の象徴だったように思われる。
 
 *日本に渡来し、特別な位置づけとして、ご神体となったのではなかろうか。
  
 *それから鏡は、舶来品(当時そんな言葉は無かっただろうが)として
  今と同じように、珍重されたのではないか。それを持つ事によって、力を
  誇示し、果ては権威の象徴として、だんだん日本国内でも生産されるように
  なった。

<古墳時代の鏡>

 *科学が進歩して、今までは出土品に穴を開けて計測分析していた事が
  X線やレーザーを使い、無傷のまま調べる事が出来るようになった。

 *レーザーを使い、点と点を計測した物を図案化させると、傷やその他の
  符合する点や相違する点が判明するようになり、より正確な事がわかる様に
  なっているそうです。

 *東大寺鏡の成分を分析した結果、銅・砒素・鉛が多く含まれている事がわかった。
  その結果、錫が少ないので、磨いても顔などはあまり見えなかったであろうと
  推測され、姿見の為の鏡ではなく、仏具の一つとして作られたことがわかる。

<質疑応答>

 Q: 盗品・盗掘にあったのに、どうして鏡は残されていたか
 A: 当時、骨(特に頭蓋骨)は、薬として珍重されていたので高価だった。
    刀などは、鋼(はがね)として高く売り買いされていた。
    しかし、鏡はあまり珍重されなくなっていたのではないかと言う。

 Q: 国産の鏡が作られたのはいつごろ?
 A: 奈良時代初期にはすでに作られていた。

 Q: 平安時代の鏡とは、どんな鏡?
 A: あまり変化はないようだが、些か装飾品に近くなってきていて、
    縁周りが豪華になりつつあった。
    源氏絵巻に描かれているような鏡は、平安時代よりももっと後から
    描かれているために、平安時代の鏡の様相とは随分違っている。

 Q: いつ頃まで銅製の鏡が作られていた?
 A: 江戸時代中期頃まで作られていて、それ以後はガラスに変わった。

 Q: 海獣葡萄鏡の真ん中に、海獣がうずくまっているように見え、横に
    穴があいているが、それは何に利用した?
 A: 銅製の鏡ゆえに、重さは相当あったと推測される。
    その為に、指を穴に入れて持ったのではないかと思われる。
    その後、その部分に紐が通されてゆく事になる。

結局・・・古代の鏡でわが身の姿を映しても、良く見えなかったと言うのが
本当の話らしくて、古代の人は自分の姿をはっきりわかってなかったと言う、
なんとも羨ましい(え?)お話でした。
(そそ、知らぬが仏ですからねぇ~vv)
ヘ(__ヘ)☆\(‥ )~ コラ!

最後は、来て下さった方々との語らいの時間が今回初めて設けられました。
各自の自己紹介で、やっとお顔とHNが一致したりして、緊張したけれど
それはそれで良かったんじゃないかと・・・(笑)
で・・・歴史系じゃないPはどうしてここに???と言う疑問符も今回
ちゃんとご説明出来て、Pは嬉しゅうございました~。
え?どうして歴史系じゃないPがこの場に存在し、また偉そうにあれこれ
やっていたか!?
え~来られなかった方にもう一度ご説明させて頂きます。

 Q: なぜPはその場にいたの?
 P: はい、それは・・・お笑い系もやぱり場を盛り上げるために
    必要じゃないかと言う事です。(涙)

 Q: 係りじゃないのに、どうして案内やご挨拶をしていたの?
 P: え~それは・・・「長い付き合いやんかぁ~」とそそのかされた
    為であります。(オイオイ)

ぅんでもね「HP見せて頂いてますぅ~♪」とか言って頂くと、単純P、
小躍りして喜ぶわけです。あちらこちらと、ウロウロしておりますので、
また見かけましたら、いつでもお声を掛けて下さると、Pはもっと嬉しく
大喜びをして、小噺でもさせて頂くやも知れません。(コホン♪)
また是非、ヨロシクお付き合いをお願い致します。

台風で心配された今回ではありますが、嬉しい事に全員参加と言う事で、
申し込まれた方々の、並々ならぬ飛鳥熱を感じる事が出来ました。
今後も、どんどん飛鳥にのめり込んで頂きたく思います。
歴史をまーーーったく知らないPでも、充分楽しめる会です。
是非「歴史は知らんけど、面白そうやん」でも構いませんので、一度
ご参加下さって、どんどんのめり込んで下さると、Pは嬉しゅうございます。

飛鳥資料館 学芸室長 杉山 洋 先生、楽しく実のあるお話をありがとう
ございました。随分謎が解けたように思います。また機会がありましたら、
次回は<三角縁葡萄鏡>について、また熱く語って頂きたいと思います。
Pの好みとしましては、古代古墳から出土した装飾品なんか面白いな~と
思うので、飛鳥資料館でそんな展示もして頂けたらと、切に希望しております。
って、ここで書いても良いかしら?すみません。m(__)m
今後益々のご発展を心よりお祈り申し上げつつ、今回のレポを終わりたいと
思います。

次回両槻会は9月でございます。久しぶりの歴史の散歩を予定されています
ので、どんどんまたご参加頂ければと思います。ありがとうございました。

☆画像は・・・奈良県明日香村 飛鳥寺裏にある<飛鳥庵>から眺めた風景。
<第三回 両槻会 定例会>_d0034988_1851436.jpg

by fu-souka | 2007-07-17 18:50 | *キラリと雑学♪  

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